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基礎クラス 第1回 『科学とは何か。科学を発達させる環境とは。』

基礎クラス 第1回 『科学とは何か。科学を発達させる環境とは』

第1回は、基礎クラス。テーマは「科学とは何か。科学を発達させる環境とは」という内容でした。

冒頭、科学についてのイメージについて、1例として、自由落下の法則でガリレオは何を考えたのか?を話して、そのイメージづくりをしました。

重いものと軽いものはどちらが先に落下するか

同じ形をした軽いものと重いものはどちらが先に落ちるでしょうか?私の教師活動の経験では、この疑問に対して、結構多い回答は、「重いもの」です。では、はたしてその回答は正しいでしょうか?

例えば、重いものが、軽いものより早く落ちるということを仮定します。次に、重いものと軽いものを重さのないヒモでつないだらどうなるでしょうか?

仮定に従えば、重いものが早く落ちようとするのに、遅く落ちる軽いものがブレーキをかけるので、重いものの落下速度と軽いものの落下速度の間の速度でこのつないだものが落下することになります。
ところが、重いものと軽いものをつないだものは、重いものよりも重いので、重いもの以上の速度で落下しなければいけない、という相反する2つの結論が出てきます。

このような矛盾する結論が出るのは、最初の仮定が間違っていたからです。つまり、重いものと軽いものは同じ速度で落下するということになります。ガリレイが暮らしていた、中世ヨーロッパでの人々は、空気抵抗の作用などを含めた、日常的、経験的、感覚的にものを見ていて、そう思っていたんでしょうね。

科学は批判

これに対して、日常的な常識や既存の認識をより現実に近づけるのが科学です。新しく生まれる科学は、世間の常識を越えたり、それに反していたりするわけです。科学はこれまでの考え方の欠陥や一面性をとらえ、より現実に沿った新しい認識を生み出すものです。

だから、科学は批判です。批判というと、批判する相手をけなし、攻撃するといった意味だと感じる人も多いようです。講義の中でもそういう質問がありました。しかし、科学は、これまでの認識が何を明らかにしたかを肯定的にとらえ、同時にその認識の限界を越えて、新たな認識の一部として新たな認識の要素(モメント)として、活かすものです。

コペルニクスやガリレオは、以前の人々が太陽や月や星が地上を動いていると主張する考え(天動説)に反対し、それは見かけだけであって、地球が回転しているからそう見えるに過ぎないことを、発見します(地動説)。

これも、これまでの常識を覆しながら、みんなが見ていたのはまやかしだということではなく、ある座標からみればそう見えるということで、同時にそれを肯定しているわけですね。

科学の発達を阻む環境

しかし彼らの発見は当時の常識とは大いに異なるものでした。しかし、この大発見は称賛されるのではなく、下手をすれば神に反するもの(異端)として宗教裁判にかけられ、大きな弾圧が加えられる可能性を持っていました。ガリレオにもこの弾圧が待っていました。当時のヨーロッパの中心であった、ローマ・カトリックがキリスト教社会の世界観に基づいて、当時の常識と社会的利害関係の中で、ガリレオを宗教裁判(異端審問)にかけたのです。

なぜなら、地球が回転しているとは聖書のどこにも書いていないません。ガリレオの主張が真理だと認められれば、聖書に少なくても一つの欠陥があるということになります。神の書に欠陥があるとすれば、それは不完全な書として神の書でないことになりかねません。あるいは、神の存在そのものが疑わしくなってしまいます。

宗教関係者は神の名のもとに信者から集めている宗教税を取れなくなってしまい、豪華な聖堂を作ることも、豊かに暮らすことも困難になってしまいます。だから、神の書にそんな欠陥はあってはならないのです。そうすると、ガリレオの主張は誤りでなければならないし、誤りでないと主張するなら、ガリレオを神の敵として抹殺しなければならない、と考えられたのです。

こんな経緯で、宗教裁判にかけられたガリレオは、自分の説が誤りであるということを認め、火炙りになるのを回避したのでした。

350年たった1992年に、ローマ・カトリックも地動説を認め、ガリレオに謝罪しています。でも、350年前に地動説が認められていたら、人間が月に到着できたのは何世紀も早くなっていたかもしれない、と言われます。

科学の発達に必要な環境

誰が真理を発見できるかわかりません。だれもがその可能性を持っています。だから、発見された科学を早く、広く共有できる環境が科学を最も発達させる環境だといえます。個々人の発見可能性を高めるための各自が自由に学び研究できる環境(学問の自由)と意見を言える環境(言論の自由)こそが、科学を発達させるもっとも効率的な環境だということになります。

意見が違うから、自分の利害に反するからと、この自由を侵すのは非科学的行為です。最近、どこかの国でもそういうことがありましたね。多様な意見に対して寛容であることが、初学者の態度としてあるべき姿です。この寛容さが科学を広げ発達させることになります。

自分の好きなことだけ、居心地のいい意見だけにふれて満足するのではなく、色んな意見を知りましょう。また、自分の常識をそれが本当に正しいことか検証しましょう。ついでにいうと、私の講義は、世間の平均的見解とは随分違うものになるでしょう。寛容に受け止めていただくようにお願いします。

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この記事を書いた人

管理人の朝日です。
ソシラボの代表として社会問題で悩む人々のお悩み解決に向けて、色々な講座を開いています。関西出身だけど、鹿児島大好きで、鹿児島をよくしたいと思っています。

短大の退職を機に「社会科学研究室ソシラボ」を立ち上げました。ソシラボは、社会を学び考えるセミナーとドイツ語・ヨーロッパ文化教室、就活生支援「名山塾」を運営してます。
これらの学びを支える書籍の執筆も行っています。

どうぞ、よろしくお願いします。

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